細川清氏・細川頼之・細川頼元は
細川清氏は南北朝時代の武将で、室町幕府の執事である。
本姓は源氏。
家系は清和源氏の一家系河内源氏の流れを汲む足利氏の庶流細川氏。
父は細川和氏。
兄弟に細川頼和、細川将氏、細川家氏。
子は細川正氏。
名は元氏で、後に清氏と名乗る。
官位は左近将監、伊予守、相模守。
伝記三河国細川郷に生まれる。
足利氏の一門である細川氏は、南朝との戦いでは北朝を擁する足利幕府に従い、足利家の内紛である観応の擾乱では将軍足利尊氏に属する。
父の和氏は1342年に死去し、清氏は叔父の細川頼春に従い、南朝や足利直義派と戦う。
1352年に伊賀国の守護となり、1353年6月に足利直冬が京都へ侵攻した際には殿を務め、近江の塩津において後光厳天皇を背負って山越えをしたと言われる。
1354年9月には若狭国守護、評定衆、引付頭人に加わり、相模守となる。
本姓は源氏。
家系は清和源氏の一家系河内源氏の流れを汲む足利氏の庶流細川氏。
父は細川和氏。
兄弟に細川頼和、細川将氏、細川家氏。
子は細川正氏。
名は元氏で、後に清氏と名乗る。
官位は左近将監、伊予守、相模守。
伝記三河国細川郷に生まれる。
足利氏の一門である細川氏は、南朝との戦いでは北朝を擁する足利幕府に従い、足利家の内紛である観応の擾乱では将軍足利尊氏に属する。
父の和氏は1342年に死去し、清氏は叔父の細川頼春に従い、南朝や足利直義派と戦う。
1352年に伊賀国の守護となり、1353年6月に足利直冬が京都へ侵攻した際には殿を務め、近江の塩津において後光厳天皇を背負って山越えをしたと言われる。
1354年9月には若狭国守護、評定衆、引付頭人に加わり、相模守となる。
update:2010年07月17日
